2006年06月15日

Extended

あー、コレ。今朝の朝刊にも一面で載ってましたよ。
延命医療の打ち切りに関する法的枠組みがどうたら。とうとうやりますか。
しかしこんな問題をどうやってマニュアル化するんだろう。


自分がもし植物状態にでもなったらとっとと打ち切ってよろしい、
そうまでして生きてたくないわいと考える人がいるのは分かるし、
家族としてもヘタに長生きされちゃ困ると思うフシだってありましょう。
あまりこういうことは大きな声で言えることではないんだろうけど。
でもちょっと話が違うけど、例えば姑の介護で20年分の人生棒に振った嫁さんとかさ、
そういう事例が現実としてあるわけじゃん。
すごい酷い言い方だけど、「先のない人間が先のある人間の足枷になる」って話。
世知辛いことだけど、金銭的な問題だってとんでもないスケールでのしかかってくるんだし。
だから一概に「尊厳死タブー!」「とにかく生きてりゃいいの!」って前提が
見直されるっつうのはいいことじゃないかと個人的には思います。
でもこれって要は生=好、死=悪っつうものっそい根源的な定義に
異議を差し挟むってことよね。
選択の余地が増えるのはいいことのような気もする一方、
人が自発的に生死を選択していいのかっていう倫理的な反対派の気持ちも分かる。
それにこの制度、合法殺人って側面もあるわけで、怖いっちゃ怖い。


ただどっちにしろ、「延命医療」ってものが医療行為としてどういう位置づけで
為されるのべきなのかが明確になればいいなあとは思います。
これすごい個人的な経験なんで話違うかも分からんけど、
ウチのじいちゃんが末期ガンで治る見込みなしって状態になったときに、
病院側から「これ以上の治療は出来ないから退院してくれ」って言われたのね。
ヤ、直接僕が言われたわけじゃないが。
「治る見込みのある人のためにベッドを譲ってください」と、確かそういう言い方で。
これ延命医療とはまた全然違う次元か。違うね。ホスピスだねこりゃ。
えーと。
でも、延命医療の話が出た以上、当然その延長に「安楽死」の問題は絡んでくるわけで、
例えばもう死ぬことが確定してるような人についての尊厳死の問題とか
そこらへんもどうにかなるのかな。ならなきゃダメだよな。
でもまあウチの場合、仮にあの時本人がいっそ死にてえとか言ったとしても
家族の側としてははいそうですか逝ってよし、なんてまず言えんかったわなぁ。


ついでに思い出したので(あんまり関係ないが)ドナーカード。
これどうします。
いやね、自分高校生の頃はこれ超賛成で、
もし自分が死んでも残り物で誰か他の命が救えるのならワンダフル、
これnot無駄死にネ、な気分で片っ端から「提供します」に○つけてたのよ。
父親が殆どおんなじ考えで。
けどいつだったかこの話を母親としてたときに、
「自分が提供する側だったらいいかもしれないけど、
自分の家族がそうなった時、まだ体温も残ってるような体にメスを入れて
臓器を取り出しますよなんて言われてもとてもじゃないけど合意できない」
みたいなことを言われて、ああそれは全くその通りだと思って。
それ以来このカード自体持ってません。未だに結論先送りにしてます。



なんかえらい話が噛みあってませんが、やっぱこのテの問題について考えると
行き着くのは結局「人が人の生き死にに介入していいのか」ってトコになっちゃうんだよな。
少なくとも自分はそこが一番の命題になる。
生死のラインを感情じゃなくて理屈で引くなんて出来るのか。
出来たとしてもそれをやっていいのか。分からんね。


posted by Skedge at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ボヤキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。